| ホーム |
もういいかい? だからもういいよ!
嬉しいできごとがあった。
あの子はどうしているだろう。ふとした拍子にその子の記憶がよみがえる。
10月3日(土)のことである。スタッフの一員として勤めるフリー・プレイスで、偶然にその子と顔を合わせることになった。転職の結果としてこの新たな職場に身を置いているということであり、もう会うこともないだろうと想っていた。それだけに、感慨も一入である。
心を通い合わせるようになった児童は、これまでに何人かいる。貰った手紙や折り紙作品などは手元に置いて大事に保管しているが、フリーの立場で複数の学校に勤務していたのでたいていの場合不意に別れがやってくる。児童たちも、やがてみんなぼくのことなどすっかり忘れてしまうことだろう。そういうものだし、それでいい。
ただ、そのうちの二人の児童については、何かの折にぼくのことを想い出してくれるだろうという確信めいたものがある。一人は女児で、出逢った当時は二年生だった。もう一人は、また別の小学校に通う一年生の男児である。二人とも子どもらしく屈託がない性格で、周りにいる者の心を和ませてくれた。そこにいてくれるだけで心が癒される。ぼくにとっては、そのような存在であった。
再会が叶ったのは、当時二年生だった女児である。その子は、いつでもぼくの来訪を歓迎してくれた。ほかの児童のように纏わりついたり膝の上に座ったりすることはなかったけれど、教室のどこにいても優しい眼差しを向けてくれた。久しぶりにその子が過ごす教室を訪れた時には、ぼくを見つけて駆け寄ってくると小さな手に力を込めてぎゅっと抱きしめてくれた。
その子は四年生になっていたが、いまでも全幅の信頼を寄せてくれているようである。その信頼を裏切るような生き方はできないし、してはならないと思う。
ありがたいことに、孫のような年齢のその子に、そのようにして支えられ、励まされている。
あの子はどうしているだろう。ふとした拍子にその子の記憶がよみがえる。
10月3日(土)のことである。スタッフの一員として勤めるフリー・プレイスで、偶然にその子と顔を合わせることになった。転職の結果としてこの新たな職場に身を置いているということであり、もう会うこともないだろうと想っていた。それだけに、感慨も一入である。
心を通い合わせるようになった児童は、これまでに何人かいる。貰った手紙や折り紙作品などは手元に置いて大事に保管しているが、フリーの立場で複数の学校に勤務していたのでたいていの場合不意に別れがやってくる。児童たちも、やがてみんなぼくのことなどすっかり忘れてしまうことだろう。そういうものだし、それでいい。
ただ、そのうちの二人の児童については、何かの折にぼくのことを想い出してくれるだろうという確信めいたものがある。一人は女児で、出逢った当時は二年生だった。もう一人は、また別の小学校に通う一年生の男児である。二人とも子どもらしく屈託がない性格で、周りにいる者の心を和ませてくれた。そこにいてくれるだけで心が癒される。ぼくにとっては、そのような存在であった。
再会が叶ったのは、当時二年生だった女児である。その子は、いつでもぼくの来訪を歓迎してくれた。ほかの児童のように纏わりついたり膝の上に座ったりすることはなかったけれど、教室のどこにいても優しい眼差しを向けてくれた。久しぶりにその子が過ごす教室を訪れた時には、ぼくを見つけて駆け寄ってくると小さな手に力を込めてぎゅっと抱きしめてくれた。
その子は四年生になっていたが、いまでも全幅の信頼を寄せてくれているようである。その信頼を裏切るような生き方はできないし、してはならないと思う。
ありがたいことに、孫のような年齢のその子に、そのようにして支えられ、励まされている。
| ホーム |